Aloha~!Mafometです。
1941年12月7日に、パールハーバーで何が起こったかご存じでしょうか。ハワイで最も歴史に残る日だったでしょう。日本も大きく関わっている「真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor)」です。
つい、先日、旦那さんと丸1日歴史を学ぼう巡りをしてきました。実は、旦那さんが現役米空軍なんです。その為、ツアーなどではなかなか見られない、体験できない場所に行けるため、そこも、このブログを読んでくださった方だけにお見せしたいと思います!
貴重ですよ~!!
Pearl Harbor National Memorial
当時、アメリカ合衆国は戦争に対して中立の立場でした。しかし、日本はオアフ島に設置された真珠湾海軍基地が日本海軍にとって脅威になっていました。真珠湾海軍基地は要塞軍で守られていたため、水上戦艦での接近は不可能と思われていました。なので、日本がパールハーバーを攻撃したのはアメリカ合衆国にとって衝撃かつ不意打ちの出来事でした。この真珠湾攻撃の歴史を学べる場所がハワイにあります。
Pearl Harbor National Memorialです。
ここには、当時の攻撃で沈んだアメリカ軍の戦艦Arizona戦艦や博物館、潜水艦などが展示されています。
そして、博物館の外は、海沿いにたくさんの石碑があります。そこには、戦争を体験した人の言葉や戦死した方々の名前が石碑に記されています。その中の1つの石碑にこんな言葉がありました。
「Why them and not me?」
これはオクラホマ戦艦の生存者の方のお言葉です。
このお言葉の訳は
「なぜ僕じゃなくて彼らなんだ」
仲間を思いやる気持ちが伝わってきて、なんとも言えない気持ちになりました。他にも、たくさん石碑があるので是非見てみてください。
このPearl Harbor National Memorialには、アリゾナ戦艦等以外にも滅多に見ることのできないサブマリン、いわゆる潜水艦も展示されており、有料で中に入ることもできます。もちろん写真撮影も可能です。全ての記念館において日本語でのオーディオガイドがありますので、情報を知りたい場所にチャンネルを合わせると聞くことが可能です。
また、博物館も2つあり、たっぷり見ごたえがあります。私はその博物館の中でも特に印象に残ったのは、生存者たちのインタビューです。アメリカ軍と日本軍の両方の方たちのインタビューが聞けます。当時の様子を赤裸々に語ってくださっています。中には泣きながら話されてる方もいらっしゃりグッと心に来るものがありました。
一人の日本人の方がこんな事を仰ってました。
「当時は言われたままに行動していた。そして、戦争の中を生き抜いて、今はこう平和になった世界を見て、平和っていいなって感じている」
本当にこの言葉に目頭が熱くなりました。実際に辛い体験をしているからこそ出てくる’’言葉’’なんじゃないかと思います。
だからこそ、歴史は忘れずに何世代にも渡って語り継がれていくべきだと私は考えます。それでは、いくつか戦艦についてお話していきます。
Arizona Memorial
完全に沈没した戦艦がパールハーバーには3艦あります。1つ目は最も有名なアリゾナ戦艦です。
“沈没艦(完全損失艦)”
【戦艦アリゾナ】人的損失:戦死者1,177名・負傷者39名
艦体から漏れ出した重油に引火し大火災が発生、海面上にあった檣楼も炎に包まれ、第1戦艦部隊の司令官および戦艦戦闘部隊司令官である幕僚長のアイザック・C・キッド少将と艦長の。新規の執筆やフランクリン・ヴァン・ヴァルケンバーグ大佐が戦死。戦死者は1,177名にも上ったが、これはアメリカ海軍の単一の軍艦で戦闘で生じた最多の戦死者数である。艦体損傷がひどかったため、遺族の要望にも関わらず引き揚げは行わず、第3、第5砲塔や対空機関砲、探照灯、カタパルトなどが取り外され、戦艦ペンシルベニアの修理に使用されたり、ハワイの要塞砲として設置されたりした。その後、沈没した戦艦アリゾナの真上にアリゾナ記念館が建設された。
引用:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83
アリゾナ戦艦の真上にメモリアルが建設され、忘れることのないように歴史が引き継がれています。このアリゾナメモリアルまでは、ボートで向かいます。
チケットの予約はネットから可能です。ボートの時間より1時間半前に到着することをおすすめします。ボートに乗る前に関連映像を鑑賞することが義務付けられているのでその映像(約20分)を鑑賞したり、その他のメモリアルを見たり、たくさんのことができます。
実際にボートに乗ってアリゾナ記念館に近づくにつれて、すごく心が重かったです。今でも、このアリゾナ戦艦の中に800以上の魂がそのまま残っているのです。約1年ほど前には、当時のアリゾナ戦艦からの生存者が亡くなり、本人の強い希望で、遺骨をアリゾナ戦艦に戻されたそうです。
Utah Memorial
2つ目はユタ船です。
【標的艦ユタ】
人的損失:戦死者64名
被害詳細:本艦は戦艦を改造した大型艦であったため、日本軍が戦艦もしくは空母と誤認し攻撃、魚雷2発が相次いで命中してからわずか10分で転覆、艦内に約70名が閉じ込められたが、救出されたのはわずか1名であった。ユタはコストの面より引き揚げは行われず、海底に沈んだままとなっている。
引用:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83
アリゾナ戦艦とオクラホマ戦艦のメモリアルは一般ツアーや個人でも観光できるのですが、ユタ船は行けないんです。米軍関係者のみアクセス出来る場所にあるため見にいけないんです。でも、今回はユタ船も見てきましたのでお見せします!!
こちらです。
↓
ユタ船もアリゾナ戦艦同様、当時のままです。
Oklahoma Memorial
3つ目はオクラホマ戦艦です。オクラホマ戦艦は上記の2船の様に実物はありません。しかし、記念館が建設されました。ミズーリ戦艦の入り口の手前に位置しています。
【戦艦オクラホマ】
人的損失:戦死者456名・負傷者30名
被害詳細 – 最初の魚雷が命中してからわずか8分後に転覆した。1999年からの検証で、本艦を転覆させた最後の魚雷は特殊潜航が発射した魚雷の可能性があるという研究結果が公表されている。あまりにも転覆するのが早かったため、400名が艦内に閉じ込められた。翌日に艦底をアセチレントーチで焼き切り救助を試みたが生存していたのはわずか32名だけであった。1943年3月に艦体をワイヤーケーブルで引き起こしたが、艦体の損傷が激しく修理は断念、終戦後にアメリカ本土に移送中に沈没した。
引用:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83
Pearl Harbor Aviation Museum
真珠湾航空博物館は、ゼロ戦、B-25ミッチェル爆撃機など、第二次世界大戦に使用された戦闘機から近年まで使われた戦闘機が展示されており、日本空軍の攻撃による弾痕が今でも残る格納庫なども見ることができます。また、米国内で航空展示についてトップ10に選定された場所です。
今は使用されていない滑走路の真横に建設されている博物館で、間近で見れる戦闘機は圧巻の迫力です!中には、入場料とは別に、エアーシミュレーターを体験できます。また、お土産ショップには、ユニークなものが販売されていますので、是非立ち寄ってみてくださいね。私のおすすめは、ミニアヒルです(笑)
ちなみに私はAir Forceのミニアヒルを購入しました!こちらです。可愛いですよね!!
↓
1日歴史を巡り心が痛むときもありました。でも、このように月日が経っても忘れないように博物館などが建設されていて、また、人々もそこに足を運び、学んで、引き継いでいってるということが素晴らしいと実感できました。今の時代があるのは、過去があるからです。ハワイにお越しの際は、是非一度、パールハーバーを観光してみてくださいね。
Mafomet
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